インプロセッションの會
即興セッションの会についてのお知らせです
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DATE: 2012/06/12(火)   CATEGORY: 未分類
6月 照明研究会×インプロの會 備忘録
6月のインプロは、照明の三浦あさ子さんに声をかけていただき、神戸、新長田のダンスボックスでの照明研究会に便乗させてもらって劇場で、明かりが入った状況でのセッションとなった。

昼間は照明の実験で、7分間の短いセットを5本。群衆で動く、皆白い衣装を着て動く、後ろが大黒の場合とホリゾントの場合の見え方の違い、照明が規則的に変化する、ダンサーの導線を上手から下手の平行移動に限ってみたり、など。

夕方からダンサーと照明の即興セッション30分を2本。数人の照明さんは10分交代で即興オペをする。ダンサーは出入り自由ルールなし。全員で30分をつくる。ダンサーはインプロによく参加しているメンバーの他にも様々な顔ぶれで、全員でおそらく17、8人になった。

舞台上だけでなく、フロアにも照明が仕込まれていて、劇場空間全体を使ってセッション。

照明が入るとまず雰囲気が出来上がる、という傾向がある。私たちは光でものを見ているのだからその効用はとても強い。明かりの雰囲気を体にまとわせず、それとどう関わるか、踊りを起こすように明かりと接することはまず第一課題。

劇場空間であること、照明が入るという状況から「見せる」意識がいつもより強くなる。見ている視線の多さもあるが、「見せる」といったときに一体それは何を見せているのだろうかとふと思う。こと即興に関して。

他者の視線にさらされることで引きずりだされるものには「見せる」という言葉だとなんだかそぐわなさを感じる。まずその「見せる」は自己顕示とは違うものとしてなければならないし、「見られる」場においては、視線をかえす、はね返って相互の視線の関係性を結ぶようにあるべきと思う。

1度目のセッションでは場に同時多発的にいくつかのシーンができているような構図になることが多かったが、2度目には、もう少し場全体で行われている、という見え方が強まった。繋がりが見えたり、それぞれの体の反応が伝導していくようなとき、動きの動機はそれぞれの体ではないところにある。

インプロセッションですることとは実はとてもシンプルなのではないだろうか。何も決まっていないある時間を作る。ではそこで作られるものはどのようなものなら良いと思えるだろうか。

船頭多くして船山に登る。良い意味のことわざじゃないが、そもそも誰かの意図や演出ではなく、それをあえて置かずに、参加する全員が船頭であるというこのようなことをやっている、この方法でしか出来なくて、価値あることだと思うこととは何か。

全的知覚。そんな言葉があるのかどうかわからないが、体に備わっているものを全員が最大限に使うというようなことを言いたい。

私とは何か、に対する答えのひとつとして私とは知覚するものだという回答を置く。

知覚全部を思いっきり使い、受信したものから発すること。
その主体を他者と共有する場における自己におきながら、なおかつそれを不自由にせず、妥協ではない方法を探ること。
そのように発せられたものを受け止めることができること。
時々により全員で舵をとることは、瞬時に自分のその場におけるポジショニングを察知することでもある。だから自分の在り方には厳密かつ寛容でなければならない。その厳密さと寛容さのなかで知覚は最も活性するように感じる。セッションすることの価値はその活性状態を共有する時間をもつということではないだろうか。そのように見いだした進路の先は山の頂上でも構わない。
書いていると大仰な言葉になるけれど、何が自由で何が不自由なのか、どのような状態であることが良いのか、野放しではわからないことを面倒でも捕獲しながらインプロセッションの會では考えていきたい。
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